「インザメガチャーチ」という小説を読んでいる。読んでいるというより、Audibleで聴いている。Audibleは数カ月に一度契約しては一カ月ほど使い、飽きて解約するというのを繰り返している。オーディオブックには特有の疲労感があり、連続して何冊も聴き続けるのはなかなかつらいものがある。Amazon Musicを契約していると毎月一冊Audibleが聴けるため、これが自分にとってはちょうどいい塩梅になっている。

「インザメガチャーチ」は、推し活を巡る三人の物語として描かれている。20歳の女子大生、35歳のOL、47歳の男の三人である。この中で自分に最も近く、かつ実際にそうなりうるのは47歳の男だろう。彼は40歳で離婚し、その後も養育費を払い続けながら、月に一度娘と通話する生活を送っている。仕事は第一線の現場から退き、バックオフィス業務を淡々とこなす日々である。

わたしはそもそも「推し」という概念自体がよく理解できない。そのため、この作品で描かれている推し活がどれほど現実に即したものなのか、それとも作者が推し活に親を殺されていて、悪意をもって歪めて描いているのかの判断がつかない。また作品の性質上、過激な推し活に絡め取られていく人々が描かれているため、登場人物たちの行動がいまいちよくわからんという気持ちにもなる。

なぜそこでそうなるのか、なぜそこまでしてしまうのかがよくわからないまま、ズブズブと推し活にはまっていくホラーとして読んでいる。推し活から陰謀論へとスライドしていく様子も描かれるのだが、そうなのか? 陰謀論ってそうなのか? よくわからん、という感じだ。陰謀論も推し活も、理解することは極めて難しく、しかし巨大な社会現象であるがゆえに、理解したいという強い欲望がある。その欲望にあまりにもインスタントに応えてしまっているのではないか、という不安がある。かといって描写が適当ということはなく、推し活を理解し、作品として成り立たせようという作者の誠実な努力は感じられる、良い作品である。

描写、描写について言えば、描写の速度の緩急がすごいなと思った。現代のエンタメ特有の展開の速さと、重要な場面や瞬間でスローモーションと感じられるほど詳細にゆっくり描写することの緩急があって良いとおもった。ある瞬間に対して詰め込める描写の量というのは小説のアドバンテージだ。映画ではどれほど詰め込んでも実時間で過ぎ去ってしまう。スローモーション使うと、え、この監督ジョン・ウーだった?ってなっちゃうしね。

あるいはこのきわめてゆっくりな描写というのは、あらゆるものを超高速で消費する現代エンタメへの抵抗なのかもしれないとふと思ったが、それは考えすぎかもしれない。

47歳の男について、人との交流や他者から頼られることを強く渇望している。それ自体は理解できる部分もあるが、それほどまでに強いものなのだろうかとも思う。自分もその年齢になれば、同じように人から必要とされることを強く求めるようになるのだろうか。

あとめっちゃわかるーってなったところだけど、男が娘から留学費用と偽って金銭を要求され、それを喜んで渡してしまう場面だ。客観的に見れば明らかな嘘であり、騙されていると分かるけど、自分も同じ立場に置かれれば一切疑うことなく金を出してしまうだろう。