10代や20代の頃は献血に行くたびに良い血だと褒められていたが、いまでは見る影もない。献血のデータはずっと残っているから、若い頃の数値と今の数値を見比べると、それぞれの数値の意味や相場はわからんが、どんどん悪化していることだけはわかる。
酒もタバコもやらないからまだ当分大丈夫だろうと根拠のない自信をもっていたが、遺伝で受け継いだ体質とリモートワークによる運動不足、そしてストレスと習慣と怠惰からくる過食で健康診断の数値はぐんぐん悪くなっている。
仕方ないので医者にいくと、糖尿病だの痛風だのといった怖い話を散々聞かされて、1ヶ月分薬をもらい、また1ヶ月後に病院にいかなくてはならない。1ヶ月分の薬なんて言ったいくらするのか、2万とかいっちゃうんじゃないかとビクビクしていたが、会計をすると2200円だった。保険はすごい。
現状とくに痛みも自覚症状もないが、こうやって不健康を突きつけられて、そして健康のために努力をしなければいけないという状況になると、そもそもなんで健康にならなくちゃいけないんだっけという気持ちになる。そりゃ不健康よりも健康のほうがいいだろうが、実際、健康を維持するコストとはとてつもない。毎日6000歩だか歩き、週に150分以上の中程度の運動、肉と炭水化物を減らして野菜を増やす、とにかくやることが多い。欲望の赴くままに暮らしていればすぐに不健康になってしまう。この莫大な手間を前にすると、むしろ逆に健康の側をあきらめてしまってもいいのではないかとすら思う。
社会の話をすると、私たちの医療費は保険で賄われているので、みんなが健康であるほど保険のコストが低くなり、社会の総コストが低くなり、結果的にみんなハッピーになる。逆に言うと、いや逆には言うまい、みな好き好んで不健康をえらんでいるわけではない。必要な人は必要なだけ医療を利用できるべきだろう。
しかし、もしかすると健康というやつは、社会からの要請なのではないかとすら思う。私はもちろん、健康のほうがより良いと思っているのだが、こういった社会からの功利的な要請であると思ってしまうとむしろそれを裏切ってやろうという気持ちも多少は芽生える。なぜ社会の都合で、わたしが頑張って健康を維持しないといけないのか。不健康である自由はないのか。
とはいっても結局のところ、不健康よりも健康のほうが快適で幸福なのだ。身体や心が重いのはひどくしんどい。そういえば私は冬になると途端にメンタルが悪化するのだが、今年の冬は高濃度ビタミンDサプリを飲んでいたら例年よりもかなりマシだった。あとマグネシウムグリシネートという睡眠の質をよくするサプリというのも覿面で、冬であるのに朝の5時や6時に起きられていた。結果として、例年よりもかなりQoLが上がっていた。社会からの要請は気に食わないが、健康は幸福である。
肉や卵や油を減らして、魚や野菜を食え、肉のなかでも鶏肉はまだマシ、とのことだったので今日の昼食は鶏肉と野菜のスープをつくり、オートミールをひとつかみいれて食べていた。美味いが、虚無の味がする。コカ・コーラゼロも虚無の味がする。