新しいiphoneが発表されて、細かい値段は知らんが、軒並み10万超えであり、もう変えねーなとなってアンドロイドに乗り換えた。5万円くらいだが、額面上のスペックはiphoneと同等であり、使っていて不便や違和感もそこまでない。
以前、DPZの記事で、iphoneと同じ価値の現金を持ち歩くというの企画があり、15万くらいの現金を首からさげて日常生活を送るというものだったが極めて示唆的だった。
金、金とはなにか。金を稼ぎ、使っている。やりたくもない仕事をやって、欲しくもないものを買っている。なにがなんだかわからない。本当にスマホがほしかったのかどうかもわからない。欲望の厄介なところは、自分でなぜそれを欲しているのか説明できないし、理解もできないところだ。冷静になって、なんでわたしはそれをそんなにも求めていたのだろうという気持ちになる。欲望は常に具体的ななにかに向かっているのに、欲望の対象はそれそのものではない。
クレジットカードの引き落としをみて、一体何にこんなに金をつかったのだろうと不思議に思う。そしてもっと節約すれば貯金ができたのに等々と思うが、貯金ができるとなにが起きるのかよくわかっていない。それによって労働をやめることができるのか。そんなことはないだろう。貯金をしても毎日働き続けないといけない。
それは給料に関しても同じで、給料が多少上がっても、いや大幅にあがったとて、働き続けなければいけない。月給一億円貰えれば、私は来月にも労働をやめられるのだが、なかなかそうはならない。わたしを労働から解放できないのであれば、本質的に生活はかわらない。
いやそんなことはない、自由になる金が増えれば生活は豊かになる。それは高い車を買うとか大げさなものではなくて、歩き疲れたときにふらっとカフェに入るとか、週末に銭湯に行けるとか、コンビニで値札を見ずに弁当を買えるとかだ。それは間違いなく豊かで余裕のある生活だ。でもやっぱり、なんだか騙されている気がするよな。
そしてまた平日がやってきて、はちゃめちゃに忙しくて、まともにものを考えられなくなる。一週間に1,2時間くらいしか、まともに物事を考えられないんだ。