SNSとかで特にコミュニケーションはとらないけどゆるくつながっていると、生存が確認できて便利。この人まだ生きてるなということがわかる。これは重要だ。Facebookのアカウントはもう何年もログインしてないけど、友人の更新通知だけはメールで届いていて、更新の内容までは見ないけど、大学のころの友人とかが、まだ生きていることを確認できたりする。
わたしが関わった人間は、ともあれ生きていてほしいという願いがあり、その生存がささやかな通知で確認できることは嬉しい。だからといってメッセージを送ったりはしないが。
生存を確認するだけの何か、システムがあるといいなと思う。別にコミュニケートはできないけど、今まで関係があったひとの生存が確認できるというもの。でもそれは同時に死亡確認でもあるのかもしれないので嫌かもしれない。なにかランダムに、誤配のように、古い友人の生存がわたしにうっかり届くという、そういう誤配生存通知システムがあるといい。かつてツイッターはゆるいつながりという触れ込みだったが、それよりももっともっと希薄な、偶然生存がわかるだけのなにかの仕組み。
ところで私は私自身のこのブログをRSS購読しており、私がブログを更新すると、私のRSSリーダーにそれが届き、自分自身の生存報告を受け取れる仕組みになっている。これは結構よい。実際のところ、自分自身こそが生きているか死んでいるかわからないのだ。山彦のように、自分の書いたものが跳ね返ってきて観測できること、あ、こいつ生きてたんだな、と自分自身に対して思えることは、悪くない体験だ。