文学フリマ39に出店しました。どうせ5冊くらいしか売れないだろうと思って新刊は20冊くらいしか作ってなかったのですが、あれよあれよと完売いたしました。ありがとうございます。

というわけで今日はなんでそもそも本を作ろうとおもったんだっけかという、そのきっかけを思い出してみようと思う。私は、人生がつらすぎるから本をつくっている。最初に本をつくって売ったのは今から12年前くらいだったと思う。当時の私は精神的にボロボロになりながらなんとか、就活をして、卒論を書いて、逃げるように大学を卒業した。卒業式には出られなかった。そして働き始めて、幸いにしてブラック企業とかではなかったのだが、労働者としての生活はあまりにもつらすぎた。あまりにもつらすぎたので、その様子を私小説にして本にして分フリで売ったのが最初だった。そのときは本当に、3冊くらいしか売れなかった。この私小説はもちろん家に在庫があるのだが、もう二度と誰かに見せることはないだろう。その後も、生きることがつらすぎる! 書かなければ死んでしまう! という気持ちになる度に本をつくり、分フリで売っていた。小説は最初の一冊だけで、それから書いていない。べつに創作がしたいわけではないと気づいたので。その時々に生き延びるために読んでいる本についてまとめた本を書いていた。だからといってそれで救われるというようなことはなかった。ここ数年は、人生が忙しくなった。人生が忙しいと、自分のつらさに集中する時間がとれない。もちろん毎日日記には、つらいつらいと書いていたのだが、決定的なもの直面するまえに、人生の様々な要素に気をそらされてしまう。そして純粋に時間がないからなにもできなかった。しばらく何も書かない時期が続いた。なんとなく転機であったのは、高島 鈴の『布団の中から蜂起せよ』 だと思う。まあ、なんというか、著者からすれば極めて不快な感想かもしれないが、わたしは、自分に似ていると感じた。世界への怒りを持っていて、言葉で殺そうとしている。しかし私と違うのは、言葉をちゃんと研ぎ続けていることだ。私の言葉はなまくらだった。もう一つの転機は、共著だが商業出版で書かせてもらったことだ。業務なので紹介はできないが、わたしの本名で本を書かせてもらった。これがまあつらくて、でも本を作るということをすこし思い出した。そのような中、夏くらいに、分フリでもでてみるかと思って調べたのだが、いつのまにか規模が大きくなり会場はでかい場所になっているし、しかも抽選だという。どうせ受からないだろうとたかをくくっていたのだが、受かってしまった。とはいっても何を書けばいいのかいまいちわからなかったので、エッセイ集のような感じで、イベント直前までかいて、書き上がった分をコピー本で製本して売れば良いという気楽な感じで始めたが、結局エッセイ集というよりは、一つの長めのエッセイとなり、しかもコピー本の製本限界らしい40ページを大きく超える原稿ができてしまい、最後の最後まで削ったり書いたりを繰り返してイベント前日の深夜3時くらいのやっとできあがった。こういうのは本当によくない。精神にも健康にも悪いし、いっぱいいっぱいになって宣伝もできないし、誤字脱字のチェックもできないから品質も下がる。悪いことだらけだ。次はもうちょっとマシなやり方で作ろうと思う。