旅行に行ってきた。前泊を含めて3泊3日。うち1日は一人で行動し、2日は友達と行動した。ずいぶんと久しぶりな一人旅であったが、やはり一人旅は最高だ。それは自由の一言につきる。一人旅なら前日にドタキャンしても誰からも怒られない。ホテルで一日中漫画を読んでいたっていい。

私はとにかく知らない街を散歩するのが好きで、出張でいった小さな街でも隙間時間をみつけて散歩する。散歩は目的地がない。目的地がない散歩はひとりでないとやりづらい。誰かといっしょにいると、その人が楽しんでいるかどうかが気になり、わかりやすく楽しめるもの、具体的な目的地や観光地を選んでしまう。それは散歩ではなくなってしまう。

一人旅は最高だが、完全無欠ということではなく、ある種の虚しさがある。なんでわたしは一人なのだろうという気持ちになるときもある。一人ではちょっと厳しいアクティビティもある。例えばアユタヤにいったとき、私は一人ではゾウに乗ることができなかった。一人だと理性的になってしまうからだ。一人旅を、最初から最後まで充実させたままで終わるというのは難しい。なんでこんなことをしてるのだろうかとう気持ちになる。

そういった点で、今回の旅行は友達と合流したのがよかった。一人旅が最高で、友達との旅行はその次だが、他者がいることでしか体験できないものは無数にある。今回の旅行は、最後まで非常に充実したものだった。

旅行の途中で、人間関係のめんどくさい話題になったことがあった。わたしはその話を聞きながら、人間関係はめんどくさいから、わたしは人間関係を最小限にしたいんだよなと強く思った。しかしそれはその状況、つまり友達と旅行に来ているという状況と矛盾していた。

人はなぜ他者に向かって何かを渇望してしまうのだろうか。他者から何かを得たいと望み、あるいは他者そのものを得たいと望み、その強い望みが、世界に無数の悲劇を引き起こしている。もっと、なにかべつのもの、石とかを望めばいいのに。なぜ人は他者と関わらずに生きていけないのだろうか。

わたしは大体の瞬間において、他者と関わりたくないと強く願っているが、それでもなお、わたしに、ひらめきや発見や知識や感情やその他様々な刺激的なものを与えてくれるのは他者との交流である。これはわたしにとってひどく残酷な事実だ。なぜならば私は他者と関わりたくないと願っているのだから。