常々思うのだが、こう、気まぐれにブログをかいていても一ミリも文章力が向上したりはしない。
それはともかく、常識というものについて考えていた。わたしは最近、年をとって、常識が少しずつわかるようになってきたなと実感する。それは例えば有給休暇の連絡をするときに「ご迷惑をおかけします」という一文をいれるだとか、知り合いが結婚する等の節目に遭遇したらお祝いを送るだとか、逆にお祝いをもらったらお返しをするだとか、そういうことだ。
私は以前は、そういうことを全く意味がないとおもっていたし、理解できなかったし、そしてやっていなかった。しかし最近は、それで物事が円滑にすすむならやっていこうというふうになっている。退職するときにはお菓子を配る。
これは私が年をとったことにより、脳の一般常識を理解する部分が発達してきているのではないかと思う。以前ツイッターで、「発達障害はゆっくりと発達していくので30歳くらいからだんだん生きやすくなってくる」的な文章をみたことがある。なんせツイッターなので真偽は全く不明だし、そもそもわたしは何の診断もうけていないが、私が常識を理解できるようになりつつあるのもそういうのが影響しているのかもしれない。
しかし未だに式典とスーツは理解できない。それらは何の意味も必要性も必然性もない。なので、適当な格好で適当な態度で適当に式典に出席して怒られるのではないかという恐怖がいつもある。何が適切でなにが適切でないかがまったくわからない。心底馬鹿にしているので勉強する気も起きない。