春から夏にかけては朝5時におきて本を読むなどしていたが、最近めっきり早起きができなくなってしまった。
早起きができなくなると、純粋に自分の時間が減るのでつらい気持ちになる。かといって夜更かししているわけではないので睡眠時間が増えて体調はよくなる。心の体調と身体の体調はバーターである。身体の体調を捧げて(夜更かし)心の体調を得る(自分の時間)。この交換をうまくバランスして全体的なQoLをあげていくのが人生というゲーム。
朝起きれない原因について考えて見ると、まず一つはカフェインのとりすぎで、夜眠れないというものだった。以前は9時位になると眠くて仕方がなかったのだが、最近は目が冴えて眠れないことが多かった。いろいろと考えてみると、日中、アイスティーを自分で淹れてがぶ飲みしていることが原因だった。
これはカフェインの入った飲み物を断つことで眠れるようになった。しかしカフェインの入った飲み物は美味しく、入ってない飲み物は少し味気ない。いろいろ試しているが、午前中にコーヒーを飲んだりするのはわりと問題なさそうということがわかってきた。
無事眠れるようになったが、それでもなぜか朝に目が覚めない。原因はまだわかっていない。単純に寒くなったからだとも思う。私は寒くなると心も体も全体的に体調がわるくなる。仕方ない。冬に体調がわるくなるのは、それこそ10代のころからずっとそうなので、これは冬眠のようなものだとおもって諦めている。いっそ本当に冬眠して冬をやり過ごしたいとすら思う。ムーミンは冬眠できるから羨ましい。
昨晩は銭湯にいったのだが、今朝はなぜか6時位に自然と目が覚めた。これにより、単に身体が疲れているという説が浮上してきた。しかしそれがわかったところで一体どうすればいいのだろう? 毎日湯を張って浸かればいいのか? めんどくさいんだよな、風呂は入れるのがめんどくさいので冬でもシャワーですませてしまう。労働をやめればいい、それはそう。
こういうことを考えている事自体が加齢っぽくて嫌だ。年をとると自然と健康とか体調のことを考えるようになってしまう。なぜならばそうしないと生活がままならないから。体調を整えて自分の時間をつくらないと労働と生活をするだけで一日が終わってしまう。それはとても悲しいこと。労働をやめればいい、それはそう。
遊んだり出掛けたりすることすべてが私を疲労させる。私はかつて、あらゆる行動には「めんどくささ」が付随しており、それはどんなに好きな行動であってもいくらかの「めんどくささ」があり、「めんどくささ」と「やりたさ」を比較して「やりたさ」が上回ったときのみ行動できるなあということを考えていた。つまりすべてはめんどくさい。
最近は、すべての行動には疲労が付随しているなとも思うようになった。つまり、すべてが疲れる。
しかしよくよく考えてみると疲労が発生しない行動がある、それが銭湯。なぜならば銭湯は疲労をとるものだから。あらゆる行動のなかで銭湯だけが疲労を発生させず、さらに回復させることができる。銭湯すごい。真理に気づいたので私は銭湯に足繁く通っている。