月曜の朝はいつもだるい。なぜわたしは働かなくてはならないのであろうとおもう。その理不尽さがいやだ。わたしは仕事が好きとか、好きな仕事とか、充実とか成長とか、そういうものを仕事にもとめないし、そういうもので何も満足しない。わたしは自由気ままに生きたいのであって、生存のためのあらゆる行為がいやである。
というと、家事と賃労働がおなじになるが、わたしは明らかに家事よりも賃労働が嫌いだ。賃労働における特殊な疎外性がある。
どうすれば働かなくてすむだろうと考えた時、そこにあるのは金だ。ともあれ金さえあれば働かなくてすむ。だからみんな金を稼ごうとしている。かつては金というのは富とか名声とかの象徴だったのかもしれない、現在ではみんな働きたくなさすぎて金をなんとかして稼ごうとしている。働かなくていいのならば慎ましい暮らしでもいいというふうなスタンスすらある。
そもそも労働にたいする絶望感がすごい。ブラック企業という言葉は一般的になり、どんなに割のいい仕事についても心身が潰されてしまえば人生が狂う。みんなブラック企業を引かないように、ブラック企業にいかざるをえない状況を避けるために必死になっている。そういう背景があり、数千万稼いで働かないで慎ましく暮らすという思想が流行っていて、少なくない人々がかなり投機的な投資をやっているらしい。
こういう、人々が労働を忌避して一発大もうけを狙う風潮は為政者からするとあんまり良くないんじゃないか、しかも投資の先は外国だし。