あ、デジャブ。違う、私が似たような日々を送っているだけだ。今、サンデーうぇぶりで「サイケまたしても」という漫画が無料で全巻読めて、読んでるけど面白い。つまりタイムリープものです。

結局のところ私たちの日々が、毎日同じようなことの繰り返しで、それを誇張したものがタイムリープなので人類はタイムリープ物が好きなんじゃないかと思う。同じことを繰り返すのは多分動物としての習性で、その修正に合わせて社会を作って行った結果、非人間的なまでに同じことを繰り返さなければいけなくなっている。もし毎日同じことを繰り返さない動物がいたら、その動物にはタイムリープ物があまり受けないと思う。つまり繰り返される生活を持たない動物はタイムリープ物があまり好きではないのではないか。

朝起きてから夜寝るまでに労働と生活が次から次へとやってくる。私はそれを着た順に捌いていって、気づくと1日が終わっている。そういう感じだ。自分の生活をコントロールしている感じがなくて、自動的に終わっている。コントロールしているという実感は多分とても大切で、これがなくなると人は病むのだろうと思う。

タイムリープものは物語なので、最終的には主人公は時間に勝利する。つまりあれは二重の意味での時間への勝利なのだと思う。一つは一方向に流れていく時間というものを、リープすることでその強制力から身を引き剥がすという勝利だ。私たちはいつも、いつの間にか流れていってしまう時間に敗北しているが、タイムリープの中ではそれが停滞して、自分だけは時間の流れから離脱できる。

それは同時に循環の中に囚われるということで、しかし主人公は循環の中でいろいろと工夫をして、実験をして、何かを見つけて最終的にそこから脱出する。時間を攻略するということ、これもまた私たちの実生活にはない時間への勝利だ。この鮮やかな勝利が、タイムリープという私たちの日常を究極的に誇張した停滞と対比的に描かれる。さらに究極の停滞であるタイムリープは私たちの日々の繰り返しを尊いものと気づかせる。すごい。無敵じゃんタイムリープ。

ところでタイムリープを繰り返される1日的な意味で使っているけどこの用法あってるのだろうか。

翻って私たちの日常は、特に意味がないし、脱出することもできない停滞だ。それは幾らかの変化と希望を含んでいるので、積極的に脱出したいとも思えないし、その向こう側も想像できない。鮮やかな勝利は存在しない。残念すぎる。かといってどうしようもないのでひとまず私は生活をコントロールしている感覚を取り戻すために頑張っていこうと思う。