政治に話が苦手だ。最近はコロナ関連で政治的な話に溢れていて何となく不快だ。政治的なものが苦手なのは、それが感情を揺さぶるからだ。政治のニュースや話を聞くと、不安や苛立ちや怒りや嘲けりや諦めといった感情がやってくる。それは強くて、制御できないもので、とても不快だ。

政治の話になると突然熱くなる人、というのがたまにいるけど、それも少しわかる。政治の話は感情にくる。この感情の深いさ故に、政治的なものを忌避してしまう。

おそらくそれは政治が私たちの生活と地続きで不可分なものだからだと思う。かつてはそうでなかった。政治とはリアリティのないよく分からないもので、おっさんたちが馬鹿なことをやっているというものだった。でも何時頃か、そのおっさんたちの馬鹿なことで私の生活が左右されているということがわかってしまった。

政治の、この気持ち悪さは私が労働に感じているものと近いのかもしれないと思う。労働もまた私の生活と不可分である。それは私の生活の大部分を占め、それによって得たわずかな賃金がそれ以外の生活を左右する。労働時間や賃金のわずかな変化が、その実質以上に私の心を揺らすのは不快だ。

生活と不可分で地続きのものは、抽象化できない。抽象化して思惟の中で操作したり、切り離したりすることができない。影響がもろにくる、影響がもろに来るという事実が、その影響をさらに増幅する。私が労働を通じて私的な人間関係を築くことができないのも、それが切り離しづらいからで、逆にいうと友達はいつでも切り離せるな?

不安の対処法は、それと実際に具体的に作業的に関わることなのだと思う。最近はそういうことを考える。政治に関わるというと何だか大仰だが、地域社会とか、そういうものに何か貢献した方がいいのかもしれないとぼんやり思う。相変わらず思うだけだが。