私事ですが、先日の葬儀がありました。

 

ところでわたしは、信仰のない儀式というのはいったいなんのためにやるのだろうとうっすらとずっと思っていて、例えばキリスト教者ではない人の教会式とかです。

 

もちろんめでたいことなので心から祝いますし、決してそのようなことは口には出しませんが、まあ、ぶっちゃけみんな薄っすらと疑問に思ってるんじゃないかな。

 

葬式もそうで、故人が旅立てるように我々が尽力するわけですが、信仰の度合いは人それぞれだよなあとかちらっと思ったりします。

 

しかし実のところそれは逆なんじゃないかと思います。つまり、信仰があって儀式をするのではなく、私たちはなにかしらの形式、区切り、ケジメのようなものを欲していて、そのためには儀式が必要であり、儀式は信仰に支えられている。なので、儀式の実施に必要な分だけの信仰を、その場で身につけるという感じなのではないか。

 

普段は死後の世界なんて全く信じていなくても、葬儀の場ではそのように振る舞う。そうしないと葬儀が成立しないので、そのぶんだけ信仰する。信仰のない儀式はそもそも存在しなくて、儀式の分だけ信仰しているのだなあと思いました。

 

そうやって私たちは尊厳を守っている。わたしは、尊厳は守られたと感じた。